戦国期に活躍した忍者その忍者の源流をたどる。

陰の系譜・鬼の正体は?

日本修験道の開祖であり、忍術にとっても一方の祖にあたる

この鬼の系譜上に、役小角がいる。彼は、「山に諸神諸鬼を集めて、天下を傾けようとしている」とされ、文武帝によって島流しにあった。反逆性に満ちた男であったのだろいうまでもなく、日本修験道の開祖であり、忍術にとっても一方の祖にあたる。その神通力は有名だが、ここでは修験道においてもっとも尊重される〃孔雀明王ノ法″について触れておく。本来の意味は毒蛇を喰らう孔雀にちなむもので、印相は11手を外縛し、11親指、11小指をそれぞれ立てて合する。唱える真言は、〈マユキラテイ、ソワカ〉という。そしてこれが、忍者たちが組む印相・呪文の祖型である。村上帝の御代(平安中期)、体制に反抗して、伊賀一一一国岳に拠って、旗揚げした武将がいる。藤原千方である。

朝廷に正一一位を望んで容れられなかったからだともいうが、理由は明戸っかではな
い。が、鬼の意思はだれでも、いつでも、心に宿すことのできるものである。『小宰記』によると、その始末はこうである。
「村上天皇の御宇、正一一位を仰望したが、その甲斐なノ、、日吉の神輿を奪って、当伊賀国の霧生郷へ篭もった。紀朝雄という人が、将軍になってこれを追討した。千方に陪従(くじゅうとも読む)の法師四人、山注記(鬼)、一二河坊、兵庫聖者、筑紫坊という者たちは、その力は大木を倒し、勢いは巌石を破るほどだったので、官軍は多く討たれて敗れそうになった。そこで朝雄は中臣赦を謂1)、神功を祈ったので、ついに千方は敗れ、柳の下でくびり果てた」『太平記』によると、千方は四鬼を使って、官軍をさんざん悩ましたとある。法師たち四人のことだろう。

能にも登場する。「現在千方」

能にも登場する。「現在千方」がそうで、彼は風鬼・水鬼・火鬼・隠形鬼の四性の鬼を使い、鈴鹿山を防いだことになっている。四鬼たちはそれぞれの名の通り、暴風、洪水、雨、猛火を起こし、または霧、霞に隠れて文字通り神出鬼没の働きをする。「田村」では、坂 上田村麻呂の東征を妨げるものとして、〈千方ノ鬼〉となって登場する。鬼を使う立場より、鬼そのものになっていくわけだ。この千方も、忍者の祖の一人とされている。甲賀一二郎兼家という武将がいる。彼は信濃国司、諏訪左衛門源重頼の一一一男で、天慶 年間(九一二八〜九四六)、かの平 将門の乱のさい、平 貞盛や藤原秀郷に従い、功を立てた。乱後、近江(滋賀県)へ来て甲賀郡の郡司となり、伊賀と併せて支配したといわれる。伊賀国一の宮である敢国神社の近く、佐那具に居城していたという伝説もあり、現に同神社には、彼を記る洞もある。この甲賀一二郎は元来、諏訪神社の本地讃として広まっている。「郡司になって近江へ来た三郎は、兄の太郎・次郎と伊吹山へ狩りに出かけたとこる、妻の春日姫が行方不明になった。三郎は、兄たちとともに日本国中の山々をめぐり歩いて、妻を探して歩くうちに、謀られて信州謬科の人穴へ落とされ、地底の七十一一の国々を遍歴し、不思議な力で浅問岳へ出て、諏訪明神に示現した」(『神道集』)たちどころに思い当たるのは、兄たちからそねまれ、謀られて危地に陥る大国主 命の伝説である。大国11建御名方という出雲族の説話、つまり被征服者系に伝わるものだ。この出雲系の神である諏訪神が、長い地底下の暮らしを経て、伊賀・甲賀に足跡を残し、やがて甲賀忍家の祖とされる話は、〃鬼の輪廻〃とも考えられる。鬼帰、また鬼隠というとを示唆してくれるものだ。


不可思議・不気味な忍者たち

忍者の源流をたどる

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