戦国期に活躍した忍者その忍者の源流をたどる。

能楽の始祖は渡来人の秦河勝

ペルシア語のナオに発するという説がある能楽の始祖は渡来人の秦河勝。散楽について、もう一つ問題がある。それは、〈能〉である。この日本を代表する芸能は、笛のしらべが聞こえるか聞こえないかのうちに、静かな、深いうねりがただよってくる。それは天から降るといってもよく、地から湧くといってもいい。そして、現われるのは、神かもしれず鬼かもしれない。また聖であるかもしれず、乞食であるかもしれない。それらは、〃見所″に座したとき、見るもの見られるものを超えて、早くも抱く戦懐なのだが、こんなものが散楽の中から昇華して出現した。能楽という言葉は、ペルシア語のナオに発するという説があるが、それはさておき、芸能呼称としては、そんなに古いものではない。能楽を能楽として高め、創成した観世親子は、散楽l猿楽とを区別するため、〈申楽〉と称した。その申楽のはじめは、こうである。

「それ申楽延年の事能、その源を尋ぬるに、あるいは仏在所より起こり、あるいは神代より伝わるといえども、代へだたりぬれば、その風まねぶ力、及びがたし。近季」ろ、万人のもてあそぶ所は、推古天皇の御宇に、聖徳太子、秦河勝におおせて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴を成して、申楽と号せしよりこのかた、代々の人、風月の景をかりて、この遊びの中だちとせこれはほかならぬ『風姿花伝』の一節である。

延年の事能だという。つまり不死とはいわないまでも、とりもなおさず、〈仙〉にあこがれるものであり、仏在所(インド)から起こるというのも、神代から伝わるというのも、神仏の威力、奇跡の再現をこめるものと思われる。散楽が渡来し、中国のように貴族の間にもてはやされていた当初、〈散楽戸〉が設けられた。いうまでもなく、楽戸は雑戸(律令制官僚組織の下部の階層)である。賎視されていたかもしれないが、税は免ぜられ、巷云の保護を受けた。秦河勝が聖徳太子からおおせられたというのは、この散楽戸を司ったという意味だろう。

秦河勝の先祖は渡来人である。『記紀』には、応神朝の帰化と記されている。

秦河勝の先祖は渡来人である。『記紀』には、応神朝の帰化と記されている。当人はしかし、不思議な伝説に彩られている。『風姿花伝』によればこうだ。欽明帝のころ、大和泊瀬川が洪水になったとき、川上から一つの壷が流れてきた。殿上人某が拾ってみると、中に玉のような幼児がいた。おそらく天から降ったものと思い、帝に口上した。その夜、かの幼児が帝の夢枕に立ち、「我はこれ、大国秦始皇の再誕なり。pH域に機縁ありて、今現在す」といった。奇特に思った帝は、殿上に召した。才智衆に超え、十五で大臣になり、所縁から秦の姓を与えた。

秦河勝は、欽明朝から推古朝まで、五代歴任し、ことに聖徳太子の信頼を受けた

こうして秦河勝は、欽明朝から推古朝まで、五代歴任し、ことに聖徳太子の信頼を受けたが、こんどは〃うつぼ舟″に乗って、いずこともなく去るのである。「化人、あとを留めぬ」ということだが、播磨(兵庫県)の坂越の浦に着いた。浦人が拾い上げてみると、人であって人でなく、いろいろの奇瑞を示した。そこで、〈大荒神社〉として崇め、その地に祁った、と。壷中からの出生は、始皇帝の伝説そのままだが、そのほかずいぶん不思議なことがまつわる。彼は太子から仏像を下賜されて、根拠地太秦に広隆寺を建立1レ、俗に太秦寺とよばれた。

ところが、古く中国では、ローマのことを、〈大秦〉と書いた。点のあるなしが違うが、字の成り立ちからいうと、大を重ねたものが点になった。通字と考えていい。太秦寺↓大秦寺ということになると、それはローマ寺、つまりキリスト教寺院である。厳密にいうと、〈大秦景教寺院〉である。この景教は、キリスト教の一派、ネストル教のことで、五世紀のはじめ、コンスタンチノーブルの司教、ネストリウスによってはじめられた。シリア、メソポタミア、ペルシアを経て、唐の貞観九年(六一二五)に、オベロンという宣教師芦っによって、長安に広まった。ときの大宗帝は保護し、大秦寺も建った。当時留学していた僧空海もその寺院の偉容を眺め、教義にも触れているはずである。その空海入唐の七十年ぐらい前の天平八年、唐人のほか、ペルシァ人李密襲という者が日本に来ていることが『続日本紀』に載っている。この人物は景教宣教医師説のほか、ゾロアスター宣教医師説、楽師説、マニ教徒説など諸説あるのだが、このとき日本に景教が伝わったという説が古くからある。が、もし伝来者がこの李密鶏でないとしたら、秦氏の先祖にちがいない。江戸時代の儒学者太田錦城などは、はっきりと、太秦の広隆寺は景教の影響を受けていると述べている。また、当寺には播磨坂越の大闘神社があること、これは養蚕・機織・管弦.楽舞の祖である秦酒公を記るものであること、大闘というのは、漢訳聖書によればダビデであること、仏式でも神式でもない妙な祭文を読み上げる牛祭りの行事があることなど、奇怪な話がいくらもある。いずれにしても、西域の匂いのするものだが、この秦河勝が能楽の始祖なのである。

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