戦国期に活躍した忍者その忍者の源流をたどる。

なぜ忍術は伊賀・甲賀で発達したのか?

忍者とは何か?

戦国乱世の時代相とは、なにも有名武将たちのはなばなしい合戦がつづいた一面のみではない。いわゆる、荘園の崩壊にはじまり、幕府権力の失墜、下勉上の風潮、国人・土豪の自立・勃興にいたる過程である。

多くは、より強大な有力者によって、しだいにその傘下に組み込まれていくのだが、伊賀・甲賀はともに一種の自治共和体制を保った。すなわち国主・領主をもたず国人は同姓・同族単位で生活範囲を固め、所領の農民を組織して一党をつくる。それら同族同士が〃回し文“を回し、連判状.起請文をしたため、徒を定めて自律自営手段を維持するものである。これを〃惣″とも〃一摸″ともいう。

当時、諸方にこんな状態が生まれた〃百姓のもちたる国″といわれた〃加賀一向一摸″や、山城(京都府)の人たちが組織した自治団体の〃悉皆成敗″などのほか、伊勢、志摩、あるいは松浦党の水軍は、みな〃一撲契状〃によって一円運営をしたし、規模の大小こそあれ、惣村的郷村が諸方にあった。が、記録のうえでも、実質運営のうえでも、明確なのは伊賀・甲賀である。伊賀は一国なので、

〈伊賀惣国一摸〉といい甲賀は郡なので〈甲賀郡中惣〉とい。伊賀惣国一摸に〃淀の事″が残っている。その条々のいくつかをあげてみよう。

一、他国より当国へ入り候においては、惣国一味同心にて防がるべく候事

一、国の者どもとりしきり候間、虎口より注進 仕るにおいては、里々鐘を鳴ら
し、時刻を移さず、在陣あるべく事 

一、上は五十、下は十七をかぎり、在陣あるべく候。永陣においては、番勢(交代で番をする)たるべく候事

一、当国の儀はっがなく相調い候。甲賀より合力の儀専一に候間、惣国出張として、伊賀・甲賀境い目にて、近日野寄合あるべく候事

このほか足軽でも忠節を尽くせば士分に取り立てることがあるとか、一異切って他国の人数を引き入れる者は、殺して晒者にする、などと定めてある。

乱世の淀だから、戦いが重点とされているのはやむをえないが、ここでは、年貢収納や生活・行事にいたるまで述べられている。甲賀との〃野寄合“もおもしろい。一時的でなく、以前から甲賀衆との野外集会が随時もたれていたにちがいなく、どうやら一摸・惣同士の連合がうかがわれる。こんな淀を定めたのは、国内各地から選出された十一人、ないし十一一人の評定人たちである。彼らは、東西南北から偏ることなく選ばれ、時宜に応じて〃評議″した。結果は多数決によるが、同数なら入れ札、つまり投票で決した。こうした共和制は、フランス革命よりずっと古い。が、そうかといって、必ずしもユートピアではなかった。しだいに中央・他国との交流が拡大するし、外からの働きかけがある。いきおい、国人・諸豪族間に利害関係が生じ、緊張が高まる。
伊賀は、たかだか八里(約11111キロ)四方ぐらいの小国である。そんな中に国
人、諸豪がひしめき合っていた。『国地誌』に記されている砦や館跡は、一二百に
近い。彼らはそして、反抗心、闘争心が旺盛である。

元来、伊賀のほとんどが奈良の東大寺を主とする荘園だった。伊賀の国人はある時期から結束して党を結び、東大寺支配に反抗しはじめた。いいかえれば、〈悪党〉の横行である。悪党とは、むろん山賊・夜盗の類ではなく、本所(荘園の名義上の所有者)敵対者だが、〃黒田の悪党〃がことに名高い。名張郡黒田荘の悪党で、弘安年間(1178〜87)から大いに横行している。当時の鎌倉幕府は東大寺の依頼で、何度となく討伐命令を出した。討伐側は伊賀の大姓氏族、服部一党だったが、いずれも悪党は逃げたと報告するにとどまった。いうまでもなく、悪党側に同氏族の者がいたからである。

実際、当時だれもかれも悪党の一面があり、味方になったり敵になったりした。それが荘園崩壊から諸豪勃興にいたる一時代、つまり乱世ということだった。
楠木正成の一族もやはり悪党だった。播磨(兵庫県)の東大寺領へ乱入した悪党の中に、〃楠 入道″の名がある。『上島文書』によれば、能の観阿弥は伊賀杉の丸の服部信清の一一一男であり、母親は〃楠入道″の娘だという。〃楠入道〃は正成の父親と伝えられる人物である。すると観阿弥は正成の甥ということになる。河内楠木氏と伊賀服部氏が縁を結んでも何の不思議もないが、諸豪の広がりと悪震党的活動を伝えた国柄であることがわかる。その諸豪たちが、分裂と結合を繰り返し、それぞれが自衛手段をとり、争いを重ねるようになる。

「門戸厳しく、要害細密にして、専ら丘〈具を事とし、邪暴の旗鋒をひるがえす。親の仇子の仇、巻属縁家の宿意を遂げて本懐を達せんと欲する条、一睡の間も安堵の思いにまかせず」(『伊乱記』)という絶え間ない争いがつづく中、ことに伊賀の遺風というわけで、〃側隠術″つまり忍術が発達したのだという。

不可思議・不気味な忍者たち

忍者の源流をたどる

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